「ナガラ、テメェ…何考えてやがる?!」 「何って…息抜きだよ、息抜き。最近は色々立て込んじゃって疲れたからね」 「フザけんじゃねー!!!」 もうお馴染みになったハイジの怒鳴り声が聞こえてきた事に、植木は小さく嘆息した。 最初に会った時から薄々気付いていたが、ハイジはかなり気が短いらしい。 ただし、ミリーに対してとなると話は違うが。 それに加えて、ナガラはそんなハイジをからかう事を日々の楽しみとしている節がある。 そうなればナガラに対するハイジの怒鳴り声が響くのが日常茶飯事となってしまうのも当然で。 しかも、植木は半ば無理矢理怒り狂ったハイジを止める役目を負ってしまっているのだ。 まず、ミリーは幼すぎてハイジを止める事が出来ない。 ミリーが泣き顔で『やめて…』と言えばハイジは即座に怒りを納めるだろうがそう毎度毎度ミリーを泣かせるのも可哀想だ。 健気な事に、ミリーは毎度毎度本気で怒り狂う兄の姿に涙しているのだ。 そんなミリーにハイジを止める役目を負わせるのは良心が痛むので、自然と却下されてしまう。 そして、問題はソラだ。 ソラは別に怒り狂うハイジの姿に心を痛めているワケではない。 寧ろその逆であははと笑って傍でその姿を傍観しているくらいだ。 つまり、怒り狂っているハイジを止める気など更々ないという事で。 本人の意思がない為にソラがハイジを止める役になるというのは却下されてしまった。 そんな結果、植木がその面倒な役目を負わされる事になってしまったのだ。 「何であんなに短気かなァ…?」 独り言を呟いて、植木は怒声が聞こえた方に歩き出した。 勿論、いつも通り飄々としているナガラに対して怒り狂ってるであろうハイジを止める為に。 早くしないと、ミリーに気付かれてしまうかもしれない。 健気なミリーがその純粋な心を痛めて涙する姿は植木だって見たくない。 その姿を見るだけでこちらの胸が痛むからだ。 それを未然に防ぐ方法はただ1つだけ。 ミリーに気付かれる前にハイジを止める事だけだ。 まんまとハメられている気分になりながら、植木はとある部屋の前に辿りついた。 ドアの向こうからはハイジの怒声が聞こえる。 「こんな情けねェ格好してどうやってミリーに会えっつーんだよ?!」 「どうって…勿論そのままだよ。きっと動物好きのミリーなら気に入ってくれるよ♪」 「そういう問題じゃねー!!」 「お兄ちゃんのプライドってヤツかい?そんなものは捨てるに限るよ、ハイジ」 「そうだよ、ハイジっち」 「煩ェー!!!テメェら人事だと思って好き勝手言いやがって…!!!」 「「だって人事だもん」」 絶妙な合いの手を入れたソラとナガラが声をハモらせて答えるのが聞こえた。 植木は再び嘆息する。 あの2人にとって、ハイジは面白い玩具のようなもの。 その状況に気付いていながらも、ハイジは脱する事が出来ていないというのが現状ではあるのだが。 こういう場面に直面する度にどうにかならないものか、と思うのだ。 どうにもならない、と分かってはいるのだが。 例え微かでも希望を抱きたくなる時もあるのだ。 「もう、3人とも静かにしろよ。店の方にまで聞こえたらどうす…」 前触れもなくドアを開けて、植木は下に向けていた視線を部屋の中に向けた。 そして、全身を硬直させた。 無論、言いかけた言葉も中途半端なところで途切れてしまった。 それら全ての原因は、ハイジだ。 正しくは、今のハイジの格好に、だが。 とにかく植木は、自分が全身を硬直させる原因となったハイジに視線を集中させた。 「ハイ、ジ…?」 「う、植木…」 今の格好を最も見られたくない人物の1人である植木と真正面から目が合ってしまい、ハイジは頬を引きつらせた。 確かに今の格好をミリーに見られるのも嫌だが、植木も同じだ。 植木の場合は、何を言われるか想像出来ないだけに、恐ろしい。 いっその事逃げ出してしまおうか、などと思いつつハイジは少しだけ後退した。 逃げられない事など、分かりきってはいたのだけれど。 この最悪の状況をどう切り抜けるかという事に思考が囚われていたハイジは気付く事が出来なかった。 植木の表情や様子の変化に。 「それ…犬の耳、か…?」 「言うなッ!!」 「どうしてそんなの…?」 「趣味だよね、ハイジ?」 「馬鹿言うんじゃねェ!テメェが何かしたんだろうがッ!!」 「あ、バレてる?」 「バレねェと思ってんのか、テメェは!!!」 ハイジが自分の斜め後ろにいるナガラを振り返って怒鳴り声を上げた。 そうすると自然にハイジは植木に背中を向けるようになるワケで。 その怒りを表すように毛を逆立ててピンッと立つ尻尾まで植木にバレてしまった。 植木は本来ある筈のないイヌ耳と尻尾をじっと見つめた。 それはそれは、真剣な目で。 ナガラに怒りをぶつけていたハイジがその怒りを忘れて恐る恐る植木を振り返ってしまうほどに。 もうそれは『見つめている』なんていう甘い言い方では相応しくなかった。 凝視。 まさに植木はハイジを凝視しているのだ。 「…ぃ、ぃ…」 「は…?」 「ハイジ可愛い…ッ!!!」 「んなっ!?」 「わ〜植木っち大胆だね〜」 小さく呟いて顔を俯かせた植木にハイジは怪訝な表情を浮べた。 何となく、嫌な予感がしたのだ。 そして、それは的中してしまった。 植木は弾かれたように顔を上げると、その特徴的な瞳を爛々と輝かせて言い放ったのだ。 『可愛い』と。 それだけでなく、植木は勢いのままハイジに抱きついた。 いや、それは『抱きつく』と言うより『タックル』と言った方が正しいのかもしれないが。 あまりにも突然の事だった為、ハイジは植木を受け止めきれずにその場に尻餅をついてしまった。 だが、それにもお構いなしで植木は『可愛い』と何度も繰り返している。 「な、これ本物?」 「そんなの知るか。それよりどけよ」 「触っていい?」 「いいからどけって」 「触ってもいいよな?」 「オイ、植木…」 上半身だけを起こして床に座り込んでしまっているハイジの膝の上にのっている植木は、異様に興奮しているようだった。 その証拠に頬は赤らみ、目はキラキラと輝いていた。 そんな植木の反応に戸惑いながらハイジは自分の膝の上からどくよう植木に言った。 しかし、今の植木には『他人の話を聞く』という気がないらしい。 ハイジの言葉を完全に無視して勝手に話を進め、問題のイヌ耳に手を伸ばした。 植木の手が、そっと壊れ物を扱うようにハイジのイヌ耳に触れた。 「うわっ…フワフワ…」 「う、植木…どけ、って言ってんだろ…!」 「気持ちいい…可愛い…」 「どけって…!!」 感動したように植木は何度も独り言を呟いた。 どうやら、問題のイヌ耳は毛が柔らかい為手触りがかなりいいらしい。 そして、植木はそれが大変お気に召したらしい。 何度もそのイヌ耳を触っている。 その表情は恍惚としていて、無駄に色気がある。 そんな植木の表情と今の体勢に一番弱り果てているのはハイジだ。 切実な声で植木にどくよう言ったところで、植木は耳を貸す様子などない。 すっかりイヌ耳に陶酔してしまっているのだ。 「何でハイジっちあんなに焦ってるの?」 「それはね、ソラ。簡単な事だよ」 「?」 「ハイジは男の本能と戦ってるのさ」 人差し指を立てたまま、ナガラはニッコリと笑った。 楽しくて仕方がない、といった感じの笑みだ。 だが、ソラにはナガラの言っている事が理解出来なかったらしい。 ソラは何度も不思議そうに首を捻っている。 そんな状態のソラを見かねて、ナガラが補足説明を始めた。 「つまり、簡単に言えば今ハイジは植木君に押し倒されてるような状態だ」 「うん、そだね」 「で、しかも植木君は妙に色っぽい表情をしてるし、ハイジの顔の目の前には植木君の鎖骨がある」 「ん…?あ、ホントだ」 「だからね、今の状況はハイジにとっては『据え膳』というワケさ」 ナガラの説明はまさに的を射ていた。 本当に、一部始終が完璧なのだ。 確かにハイジは今の状況に困惑しつつも腹の底からフツフツと湧いて来る欲と闘っていた。 それもこれも、この状況が悪いのだ。 特に、今の体勢が。 あと数センチ。 少し顔を前に出せば唇が触れるような距離に、薄っすらと浮かび上がった綺麗な鎖骨があるのだ。 ナガラの言う通り、これは『据え膳』以外の何物でもないだろう。 問題なのは、本人にそういう自覚が全くないという事くらいだ。 「あぁ、そっか!つまり、ハイジっちは植木っちを襲いたくて堪らないんだ!そうでしょ?」 「正解だよ、ソラ」 「うっせーぞ外野!!!」 人事だと思っているのか、ナガラとソラは至極穏やかな雰囲気で会話を続けている。 確かに、人事である事に間違いはないのだが。 横で好き勝手な事を散々言われ続けたハイジが怒声を上げるが2人はそれを気に留めた様子もない。 勿論、イヌ耳に夢中になってる植木も、そうだ。 「じゃあね、ハイジ。オイラたちは出て行くから」 「なッ…?!」 「ハイジっち、中身までケダモノになっちゃダメだよ?」 「ふ…フザけんな!!」 「フザけてなんかないって。じゃ、頑張ってね〜」 好き勝手な事を言うだけ言って、ナガラとソラは部屋を出て行った。 となれば部屋に残されるのは当然、ハイジと植木だけで。 ギャラリーがいなくなったという事が、崩落しかけてる理性に益々追い討ちをかけてきた。 煩い外野がいなくなると途端にこの状況の深刻性が増してくるのだ。 それは、植木にすれば襲われる危険性という事になるのだが、生憎と本人は気付いていない。 気付いていたら、こんな事は決して言わなかっただろう。 「なァ、ハイジ!」 「ん、だ…よ…」 「今日一緒に寝よう!!」 「…ッ!!!?」 全く悪意の感じられない植木の満面の笑みに、ハイジは声にならない悲鳴を上げたのだった。 ◆◇あとがき◇◆ まァ、何も獣耳とか付けるのは受けだけじゃなくてもいいじゃないですか。 というのが今回のコンセプトです。 きっと耕助は動物大好きっ子なんですよ。 えぇ、決して獣耳フェチとかではありませんので(笑) 動物好き過ぎて無意識に誘うような事しちゃってるだけです(苦しいよ、その設定…!) ちなみにどうでもいいですが、ハイジのイヌ耳のイメージはシベリアンハスキーです。 個人的に私がシベリアンハスキーが好きなので(笑)
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